この世の地獄というものに興味はありませんか?
ジョージ秋山先生のアシュラは、地獄と化した平安時代の飢饉をテーマにした作品です。
今作を読めば飢饉の壮絶さと、それに負けることなく正しい道を歩んでいこうとする人間の強さを見ることができます。
おすすめ度 | |
この世の地獄 | |
カニバリズム | |
主人公の葛藤 |
銭ゲバと並ぶジョージ秋山先生の代表作だね。
発表当初はその過激さから有害図書に指定されたりもしたよ。
食べさせられない≒愛していない?
農夫の娘・若狭と貧乏小作人・七郎は恋仲。しかし農夫が負傷してから若狭は生きるか死ぬかの窮状に追い込まれてしまう。
それに対し七郎は「お前を食わせることはできない(だってオレ貧乏だもん)」とのたまう。それに対する若狭の返事が「あなたは本当に私を愛しているのか?」というもの。
この「食わせられない≒愛していない」という図式は少し無理があるようで、残酷ながらも真理をついているような、読んでいてドキッとしましたね。
七郎はどうにかできなかったのかな?
仲間から食料を盗もうとしたよ。速攻でバレてあきらめたけど。
盗むなよ!あきらめるなよ!
畜生法師の身体を張った説得
畜生法師は村に滞在して孤児の世話をしたり、炊き出しをして村人の支持を集める放浪僧。そして偉そうに説法をかましてくる。
が、これが生半可な覚悟ではない。人への襲撃を繰り返すアシュラに対し自分の片腕を切り落としてまで説法をしてくる。「お前のためならば片腕も惜しくない」
この身体を張った説得にはアシュラも折れ、次第に法師のことを慕うようになる。親の仕事が子供を養い教えることならば、本当に何もしない大夫(アシュラの実父)よりよほど父親らしい存在だったと思う。
畜生法師ってスンゲェー名前だ。
名前と見た目は怪しいけれど、作中一の聖人だよ。
主人公の成長と葛藤
主人公・アシュラは序盤では人を人とも思わぬヤバい奴で、「生きていくためには仕方がない」などと言い放つキラーマシンでした。
しかし若狭や畜生法師と出会う中で人として成長していきます。と、同時に「生きるために人を襲っていいものなのか?」「自分を見捨てた両親を許していいものなのか?」など思い悩むことになります。
一応の答えが出るのは最終盤の完結編。本編では「ここで終わるんかーい!」って感じ。スッキリした終わり方ではないものの、完結編を描いてくれたジョージ秋山先生に感謝です。読めてよかった。
アシュラはお母さんのことを全く受け入れようとしなかったね。
序盤にアシュラを焼いて喰おうとしてたし残当でしょ。
まとめ
以上、ジョージ秋山先生のアシュラでした。
子供が「生きるためには仕方がない」などと言ってしまう地獄の中でも、畜生法師は「正しい道を行くことこそが勝ちなのだ」と粘り強く説法かまします。
それが超やんちゃ小僧のアシュラさえも成長させていきます。アシュラだけでなく、「愛さえあれば何もいらないよね」な七郎さえも動かします。
なんというか、法師、素敵です。
個人的には若狭の掌返しが一番印象に残ったかも?
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